6月21日夜から未明までに起きた東海道・山陽新幹線での停電よる運転の見合わせのニュースは、まだ覚えていますでしょうか?
6月21日20時頃、大阪高槻市の新幹線の架線が切れ、京都―新神戸間の上下線が停電し運転を見合わせた出来事です。
午前1時頃に復旧しましたが、この影響で東海道・山陽新幹線ほぼ全線で運転見合わせ。到着が大幅に遅れ5万人に影響がでた、とういうものです。
この日ちょうど私は、所属するインテリア勉強会に参加するため、東京日帰りの予定でした。
朝のニュースでは近畿から関東地方にかけて豪雨の予報。
名古屋も朝から風雨に見舞われており、会合に間に合うよう東京へ行けるか心配になりましたが、乗車したのぞみ東京行きは、掛川辺りで強い風雨に見舞われたもの、時刻通りに無事東京に到着。
早めの便が幸いし、浜松-静岡間の豪雨による一時運転見合わせは、何とか回避しました。
豪雨は関東地方にも及ぶ予報だったので、帰りの天候が気になっていました。
勉強会が終わった20時頃、空を見上げると晴れていました。
天候の影響を受けることないなと安堵したのですが、勉強会後の懇親会には参加せず、21時発のぞみ姫路行きに乗車し、家路を急ぎました。
新横浜を過ぎて10分くらいでしょうか、「京都―神戸間が停電のため運転を見合わせています。
このため緊急停車をします。」と車掌の突然のアナウンス。
すぐに停車してしまい、くつろいだ気分は一転してしまいました。
10分後、「小田原駅まで進みますが、運行の見込みは立っていません、情報が入りしだいお伝えします。」とのアナウンス。
進み始めましたが、やはり小田原駅ホームで止まり動かなくなりました。
しばらくして「大阪付近の架線が破断して、係員が向かっております。復旧のめどはたっておりません。」とアナウンス。
『終電に間に合うのか!』長期戦になるなぁと思い、家にメールで缶詰めになっていることを連絡してから、情報収集のため「新幹線遅延つぶやき」で検索してみると、新幹線の乗車客と思われるつぶやきは、「緊急停車で止まってもう一時間」「新幹線泊になるか?」といったものであふれていました。
『家に帰れるのか・・・!』
車内の乗客皆さんの反応は、いたって静かで、車掌のアナウンスと電光掲示を気にしつつ、仮眠をとっている方が多かったようです。
車掌のアナウンスは、「情報の繰り返しにはなりますが・・・」と30分おきに流れ、不安の解消に繋がり誠意を感じました。
24時に新しいアナウンスで、「これから約一時間後に復旧の目途がたちました。」という情報。
安堵の気持ちと終電はとっくに過ぎているという焦りの気持ち。『どうするんだ?家に帰れない・・・!』
アナウンス通り午前1時に運転の再開となり、新幹線は動き始めました。ネット情報では、安全を確保しながらゆっくり運転とありましたが、その逆ですごくスピードを上げて運転していたように思います。
やっと到着した名古屋駅、時刻は午前2時。ホームのキオスクが臨時でオープン!飲料とおにぎりを購入し、改札を出ると駅員さんが、10番と11番ホームに列車(列車ホテル!?)が用意してありますので、利用くださいとの説明。
向かってみたが、もうすでに座席を向かい合わせで2列を使い寝ている方でいっぱいです。列車ホテルは、使用できず。駅員さんにその旨を伝えると、使用禁止の待合が解放されました。
列車内にあった毛布を借りて待合に向かい、空いていた2席をキープして、購入したおにぎりを食べて横になりました。
しかし、そう簡単に眠れるわけがありません。後続の列車が20分置きに到着します。その度に待合に人が流れてくるのです。ざわざわして寝付けないでいました。うとうとしていたら、突然待合にあるテレビが鳴りだし、目覚めると5時15分でした。
始発を調べ、5時35分に乗るために、東海道本線上り2番線へ向かうと、私と同じように始発を利用する人でホームは埋まっています。皆さんさすがにお疲れの様子。
毎朝始発を利用しているであろう男性が、「今日はえらい人居るなー。」と、独り言をつぶやいていました。
自宅最寄り駅に着いたのは、6時でした。改札口で駅員さんが「大変ご迷惑をおかけしました。」とすごく丁寧に言葉をかけてくれました。「JRさんの対応は凄く良かったですよ。」と言うと恐縮がっていました。
駅の外へ出ると、涼風と朝日が清々しく感じられたのでした。『やっと家に帰れる!』
振り返ってみると、疲れより面白い経験ができたなという6月21日~22日の新幹線物語でした。